自分の中に、中の人と外の人がいて
1人の時は中の人がひとりで寂しくなる

外にいると、頑丈な外の人が中の人を守って、支えてくれるから安心して自分でいられる


だから、私が1人の時に、誰かを守ってあげられるほどの強さはない

少し前までの目標はそんな図々しい考えだったけど、思い上がりもいいところだなほんとに


外の人がいるときの中の人が私なのか、
中の人だけが私なのか、
両方とも私なのか、
だとしたら、私の中には1体何人潜んでいるのか、
誰がいちばん強く私であるのか

私は私と2人きりに、
正しく言うと1人きりになるのがとても怖い

誰かがいないと、ちゃんとした自分でいられるような自分なんて嫌いなのに、抜け出したいのに、抜け出せない

抜け出すためには誰かがいてくれなくちゃいけない
けどそれだったら本末転倒なんだよ

私は自分の力でやりきれる自分になりたい

どうがんばったらいいんだろう

悩んでるわけではないんだけど、
漠然といつも考えていて、

課題なのかな?



私はコロコロ変わる
私から見た他人は変わらない

だから私ほど信用できない人はないんだよ
自分を信じるより他人を信じる方が簡単だね
初めから期待を下げておけば悲しくなりにくいし
人のせいにできるから


自分を信じるって
自分ですべての責任を負うことだから
強くいられる人でないと逆に潰れてしまう

なんだかちょっと落ち込んじゃうなこれ

やめやめ



ぼくをつくってよ

ってそういうことかって気持ち@平井堅

てやんでい

料理は本当に楽しい
お手本は山ほどあるし、それに則ってきちんと作ると、ちゃんと結果を体で感じられる

努力しても報われないことが多い中、リターンが大きいのはこれくらいじゃないかとも思う

努力は報われるっていう言葉を前提とするならばですが
私は努力+運が必須だと思ってる
まぁ今回はそんなに関係ないか、、、


まるまる1玉の白菜に菜切り包丁で切り込もうとする時
ふと手を止めた

私達もっと優しくなれるんじゃ?
こうしてきりこまなくても、外側から1枚ずつ剥がして、だんだん小さくして、お互い譲歩していこうよ
みたいな謎なストーリーが頭に流れる

めっちゃ面白い、自分が馬鹿なのに気付く大好きな瞬間

他にも

白菜の白い硬いとこを先に外してから煮るんだけど、包丁で三角形に切り離す時に、脳内の岡っ引が

てやんでい てめえらそぎ切りにしてやる!!って
十手もって走り回ってた

たのしいねえ

白菜と鶏が出汁でくたくたに煮えて、
そこに豆乳とすり胡麻たっぷり
火を止めてから少し醤油を垂らして完成

さいこうだ〜〜


お鍋はいくら食べても罪悪感が少ない
いつもありがとう

サラダ記念日ではありません

誰にも期待したことのない人は、人に期待するなんて無意味だとか何とか絶対に言わない


人に期待して、何か思った通り行かないことがあって、もしくはその時に悲しい思いをしてしまったりして、これからはそんな喪失感に出くわさないよう、自己防衛のための結論のはず



そんな話をしてて、悲しいねって私が言った時、そう、悲しいんだよって返した人と初めて出会って心底驚いた、仲間発見、サラダ記念日??



他人を見下しているんじゃなくて、こっちの勝手で勝手に傷ついちゃって、相手はなんにも悪くないのに一人空回りしているのが悲しい、しかもなかなか止められないから悲しい


私も、日常生活を上手く回していくためには、私にしか期待しないようにしているけれど、あくまで、これは日々を穏やかに過ごすための手段に過ぎない。


心のどこかは常に誰かになにかして欲しい(受容に近いもの?)と感じているような気がする。精神世界においてはなのかな?むずかしい!!


何というか、人に期待しちゃだめだ!って心の中で勝手にブレーキをかけると、それはそれで生きづらいし、一時の感情にコントロールされるな!って一般の賢い方々の考え通りに動くことも出来ない。


期待ってなんだ?
愛情を与えることと見返りを得ることがごっちゃになってしまっている人が多いのか?


困った時は辞書です


き‐たい【期待】
[名](スル)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。「期待に添うよう努力する」「活躍を期待している」「期待薄」 byデジタル大辞泉


なるほど
期待は 願い 祈り に近いのか

うーんけど、「当てにして」ってワードが入ると一気にげんなりしちゃうな

願いが叶うと嬉しいし、祈りが通じると嬉しい
願いが叶いやすい、祈りが通じやすい因子が一つでもあれば、それを「当てにして」期待へと変わってしまうんだろうかな


そう思うと自然ってどうしようもないから偉大だなあ
人間が期待する隙を与えないよね



まとまりませんかもういいや
昨日の雷すごかった
真っ暗なはずの部屋が、稲光でパキッと光ったよ
けど今日はいいお天気です!

楽しい夜ですね

お久しぶりです

試験がとても忙しくてお尻の血流が死んでいました。

コーヒーと常温の水で私が作られていたようなもんだ
一夜漬けならぬ浅漬けで日々過ごしていたので、脳みそのキャパはなかなか広がっただろうな




人間一つのことに妙に忙しくなると、それに構いっぱなしで中々他のことに気をかけられないもので
先週の私はほとんど周りのことを気にかけず、
今週は気にかけられない番になりました


忙しいなら仕方ないよね〜と思いつつも
寂しい気持ち5割、真面目に分析しようという気持ちが5割



真面目に分析とは
過去の自分の、切羽詰まってる時に感じた、最終的に自分だけしか頼りにならない!という強い気持ちの本当を知りたい

あの時は、確実に、この難関を乗り越えられるのは自分の力以外無いと思っていたのに、
気が抜けた瞬間に、誰かに頼りたくなってしまう


あれ?
これって逆だと想像してたんだけど、実際そうでもないみたいですね

人間(私)ってピンチになると他人に頼ろうってあんまり思わないみたい

意外と1人でも強く出来てるみたいですね


人間は1人じゃ生きていけない
なんてうそばっかり


寂しい思いをする暇もないほどのピンチが来たら、最終頼れるのはこの体、物理的な肉体だけ
だから日頃からストレッチなり、ラジオ体操なりしといた方がいいみたい


今日はちょっと極端
残りの5割の気持ちが寂しさから苛立ちにかわろうとしてるからかも

もう1回ピンチしてみるべき?





夜も遅いので寝ましょう
明日はホットケーキがたべたい

おやすみなさい

明らかなことを探そう


1回好きになってくれた女の子が一生自分のことを好きだと本気で思ってるんなら、きっと、それはその人にとって事実なんだろうな




思い込みは限りなく当人の事実に近似されるし、それが大多数の人に伝播してしまえば、その事象が本当のことかなんて全く意味を成さない

世の中も、私の周りでも、そういうことっていっぱいあるんだろうな

よく、事実を明らかに!とか聞くけれど
みんな心の中で期待してるのは自分のシナリオが事実として人に認められることなんだろう
そのために人間は知りたがりになるのかもしれない

しかもその事実って、何によって証明されるの?
数学とか、物理とか、根本に遡ると果てしないけれど、必ず結果が明白なもの以外は難しそう
遡っても、未来を予想しても、それは現在の事実を証明しうるものにはならない


今日は学校にいきます
久しぶり
九月なのにあついねぇ〜!!

仕方が無いなぁ


話したがりが圧倒的に多いこの世界に、聞きたがりの人はなんと貴重な存在か!

そして聞きたがりが貴重な存在であるために私は常に話したがりでいなければならない!



なのになぜあのひとは私を話したがりにさせてくれないのかなぁ

人の話を聞くのが得意だそうです

へえ、いいじゃんとのこのこついて行ったらはめられました
何たる悲劇!

羊の皮かと思いきや話したがりの仮面を被っていた!

そしてそれはあろう事か羊の皮の下に被っていたのだ!

ううーん!!


何が言いたいかといいますとね
まぁ茶番はおわりとして

やけに私の話を聞いてくれるなぁって人がいて、
私から質問しないと答えてくれない人だったんだけど、最近やけに饒舌になられまして、
決して嫌な気持ちじゃないんです

むしろちょっと嬉しい?
このひと話すの下手なだけでほんとは話したかったんだなあって気づけた

わたしがこの人にとっての貴重な存在である聞きたがりさんになってあげようって思えました

ということで冒頭の


《 話したがりが圧倒的に多いこの世界に、聞きたがりの人はなんと貴重な存在か!

そして聞きたがりが貴重な存在であるために私は常に話したがりでいなければならない!》

これに矛盾する結果となりました。
わたしはモブから貴重な存在になってしまったようです
これから楽しみだ




糖質制限食べれるもの多いけど、
好きなたべものはお肉とケーキなので、ケーキ陣は非常に辛い局面を迎えております
ケーキ陣よ、君たちにさちあれ

バタッ

どの人が一番になれる?

付き合ってた人がいるし、付き合ってる人がいる

付き合ってた人とは、高校生の頃から付き合ってて、7年足らずで別れた

好きじゃなくなったっていう簡単な、わかりやすい理由だけど、好きじゃなくなったってすっごく残酷なもんだなー

正直、そんだけ長くずっと一緒にいて、はい、好きじゃなくなったからさようなら〜、あなたに恋愛感情はもうないのよ〜ってお別れできるもんなのかって思う
わたしは別れたけど、家族みたいに今までと変わらず近くにいて話をしたかったな

家族の誰にも、友達の誰にも言えなかったことを言えて、受け入れてくれる赤の他人なんて、そう出会えるもんじゃないでしょ

正確には結果的に受け入れてくれただけなんだけど

まあでも、そこにオスメスの気持ちが残らなくなってしまうと、生物界では血縁関係を持つものを除いては敵とみなし別れを告げるもんなんですね

これは男女共通してゲスい考え方なの?
いわゆるキープくんというやつですかね?
まあキープできるほど器量よしの女じゃないので連絡は一切してないけどね

ただ、健康診断には引っかからないでほしいなぁとか、ご飯食べすぎて太ってないかなぁとか、友達と楽しくごはんたべてるかなぁとか、
たまに私のこと心配してくれてんのかなぁとか、
愛情は確かにのこってる
触れ合いたいとは思わないけれど
この気持ちはなんなんでしょうかね

前のブログに書いたことと矛盾してるんだよな
心を開いてたら触れたいと思うはずなのに

ほんとうによくわからない笑

今付き合ってる人とはどれだけやってけるかな
オスメスの気持ちが消えた時、私はまた同じことを繰り返す
不思議だなぁって

大事にしたい人はたくさん出来るだろうけど、その中でも一番を決めとかなきゃ、皆が喧嘩して困っちゃう世界なのかもしれないね


最近糖質制限始めました
おから蒸しパンはいつまで続くんだろう